八王子市議会議員

相沢こうた

KOHTA AIZAWA

相沢こうたの使命

こんにちは、八王子市議会議員の相沢こうたです。

10月

・9月のこのページに御巣鷹山と日航の責任について書かせていただきました。30年という年月が経って日航の償いの気持ちが少しずつ伝わっているのではないかと・・・

相沢こうたの使命

先月末に福島県南相馬市の復興支援に行ってきました。
福島第一原子力発電所の事故から5年半が経過し、この間、多くの東電社員や電力関連会社の方々、事故収束に向けて作業をしてくださる多くの会社の方々、除染などのボランティアの方々など様々な任務を背負って数えきれないほど多くの人たちが福島県に入り様々な活動を展開してきましたが、原子力発電所内は(頻繁に見ることは出来ないので)別にして、周辺の街の風景は事故当時から大きく変わった感じがあまりせず、現地に行くといつも被害・影響を与えてしまった範囲が広いことを痛感し責任の大きさを改めて認識させられます。

今回の作業で伺った南相馬市は今年の7月12日に避難解除されましたが、当時の人口の8%程度しか帰還していないとのことでした。市内の作業場所までの移動中や作業中もほとんど現地の方にお会いすることはなく、ひっそりと静かでした。スーパーなどの店舗は全く再開されておらず、病院なども空き家のままで普通の生活に必要な環境が戻っていません。5年以上も避難されていると避難された場所で新たな生活環境が整い、特にお子さんのいらっしゃる世帯などは子どもの成長により避難先を離れることができなくなってしまった方も多いのでしょう。また場所柄、健全に運転していた頃の原子力発電所に関係した仕事をされていた方もいらっしゃるでしょうから、戻られた時の仕事の不安なども多くあると思います。

経済や教育などを元のように循環させるためには一定程度以上の人が必要です。家屋や施設などの入れ物だけを整備しても、そこに暮らす決心をしてもらうためには生活上の不安感を一層し気概を持って戻っていただかなくてはなりませんので、その条件整備は簡単ではありません。街の復興のためには居住環境の整備だけでは足りず、新たな産業により安定した生活環境を整えるなどのカンフル剤が必要なのではないかと考えます。そういった検討がされないでただ戻って来る人を待つだけでは恐らく街は復興しないでしょう。

それにしても平穏に暮らしていた街をいくつも壊滅させてしまったという事実は非情なほど重いことだと実感した数日間でした。自らの個の力の無力さとでも言うのでしょうか、そういったことを感じましたが、結局はそれが束になって継続して取り組んで行く以外に道はなさそうです。莫大な時間と人が必要であることは必至で、この先の様子を上手く想像することができませんが、地道にコツコツと積み上げて行く作業に今後も機会を作って参加させていただこうと思っています。同時に情報発信出来る立場をいただいておりますので、今後は正しい福島の現状を多くの方に発信していきたいと思っています。

30年先は自身の目で見ることはできないでしょうが、30年先の電力関係者の肩の荷が少しでも軽くなると良いと・・・そんな想いで取組んで行きます。

過去の履歴

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12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月【2014年】

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12月  11月 10月 9月  8月  7月  6月  5月  4月 3月  2月  1月【2012年】

12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月(その2)  3月(その1)   2月  1月【2011年】

12月  11月  10月  9月  8月【2010年】

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