相沢こうた (あいざわ耕太) 八王子市議会議員

相沢こうたの使命

こんにちは、八王子市議会議員の相沢こうたです。

9月

・8月12日、この日は何の日かと問われると、年月が経過しているので関係者の方しか瞬時に思い出さなくなっているかも知れません。この日にちの前後には例えば広島・長崎の原爆の日や終戦記念日など非常に重い記念日もあり、日本人の記憶の中ではわかりづらくなってしまっているのかとも思います。「御巣鷹山に日航機が墜落した日」は、その事故から31年が経過しました。私の家内の叔母さんにあたる人がこの事故で亡くなっており、ご両親も高齢となったことから十年ほど前から慰霊登山に出かけることが我が家の慣例となり、今年も行ってきました。

はじめて行った十数年前は慰霊登山、慰霊式典に参加される遺族の方が多く、慰霊の園という式典を行う場所に隣接する上野村立上野中学校の校庭に自家用車を停めて、登山口まで日航が用意するマイクロバスに乗り換えて移動しました。移動方法は変わりませんが、それから年々来訪者は減っている様子で、今年は中学校ではなく慰霊の園の駐車場に自家用車を停められるほどに減りました。

慰霊の園から登山口までは送迎していただく車両に片道40分近く乗車します。信号の無い整備された山道を走りっぱなしで40分、距離にしておおよそ25~30kmはある計算になります。到着した登山口からは登山道があり徒歩で30分ほど登るでしょうか。墜落現場は山頂に近い開けた場所にあり「昇魂之碑」という慰霊碑が建てられています。周囲にはお亡くなりになった方のご遺体が発見された場所に各々の碑が建てられています。私たちが目指す碑は昇魂之碑から更に50mほど登ったところです。

相沢こうたの使命

御巣鷹山は、事故以前は地元でもその名前をあまり知られていなかったらしく、また相当山深い場所に位置しますので周囲は同じような山ばかりで、名前を知っていてもどれが御巣鷹山なのかは一部の地元の方以外はわからないほどだったとお聞きします。現在もこの慰霊の日以外はほとんど訪れる人は無く、上野村を抜ける国道299号線から御巣鷹山方面に入る車は普段は途中のダムまでの仕事の車程度しかないようです。村から登山口までの道路(おそらく25~30km)は事故以降に日航にて整備され、普段は使う人がほとんどいない道をこの日のために数か月掛けて点検・整備しているのでしょう。登山道も同様で、2年前のこの日が大雨で登山道の一部が小規模ですが崩落しましたが、その部分は違う登山道に付け変わっていました。その費用がどれほどかは存じませんが、当日の対応を含めると数千万という額になるのではないかと推測します。

今年は私たちが山頂にいる時間に日航の社長が慰霊に訪れ記者に囲まれてインタビューを受けていました。代々の社長は事故以来、皆この日の慰霊登山を行っているとお聞きしました。当日は慰霊の園にいつも会社幹部の方が相当数いらっしゃいますし、日航に入社した若い社員はこの地の整備やらお手伝いは登竜門だとのことで、全社を挙げての大切な行事になっているようです。

相沢こうたの使命

520名もの犠牲者を出してしまい日本の航空機事故で最悪のものと言われる事故の原因者として日航の置かれた立場は非常に苦しく厳しいものがあったと想像します。社会では四面楚歌の状態で謝罪の言葉を繰り返し、何をどう謝っても遺族との溝は何も埋められない中、粛々と態度で示すことの積み重ねを延々と続けて来られたのだろうと、私たちが想像できないほどの厳しい状況下での対応をされてきたことと思います。山頂で「日航さんも毎年大変だよね、ありがたいと思っている」という事をおっしゃったご高齢の方を拝見しました。その方も本心から許している訳では無いかも知れませんし、ご遺族の中には今でも心を閉ざしている方はいらっしゃるのかも知れません。しかし30年以上、真摯に取り組んで来た日航の謝罪の態度が、程度は個人差がありますが遺族に伝わっているのでないかと感じる瞬間でした。

それにしても31年は企業としては長い年月です。新入社員や若手の登竜門だと話していた方々は事故の時は未だ産まれていませんし、今の社長も新入社員。当時日航に勤めていた人のほとんどは、現在は社にはいないでしょう。そういう現実の中で風化させずに社としての謝罪の気持ちを引き継いでいくことの難しさを想像するとともに、その大切さも強く感じる次第です。

こういったことをいろいろと思いながら、いつの間にか東京電力の福島第一原子力発電所の事故とダブって見えていました。こちらは事故から未だ5年半、直接の死者は出していないけれどもご迷惑をお掛けした人の数は比較にはならないほど多いのです。未だにご迷惑を掛け続けてしまっている方々がいらっしゃる中で、そんなに簡単に人の気持ちが好転するものではないでしょう。ただただ粛々と謝罪の気持ちを胸に長い年月を掛けて行動を積み重ねていくことで人の気持ちが氷を解かすように少しずつ変化していくことを期待するしか出来ないのだと改めて思いました。何年掛かるかわからないし、後輩たちに辛い遺産を作ってしまった訳ですが、このことは日航と同じで社がある限り半永久的にその気持ちを引き継いでいく必要があるのだろうと感じた今年の御巣鷹山でした。

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