八王子市議会議員

相沢こうた

KOHTA AIZAWA

相沢こうたの使命

こんにちは、八王子市議会議員の相沢こうたです。

2022年6月

〇ロシアのウクライナ侵攻は泥沼化しており、いつ、どのような形となったら終わりを迎えるのか想像すら出来なくなって来たと感じています。日々のTVや新聞などの報道でウクライナの現状を知る度に非常に悲しくやるせない気持ちになります。情報社会であり、携帯電話やインターネットを誰でも閲覧出来る時代に、本当にロシア国民はこの実態を知らないのか、俄かに信じられません。

・今朝(6月15日)の朝刊の一面にウクライナのセベロドネツクの記事が掲載されていました。

「爆発音が響き、壁が揺れた。セベロドネツクのレストラン地下室に妻と双子の娘2人を連れ避難生活を送っていたモルスさんは急いで外に出た。妻のエレナさん(27歳)が焚火で夕食を作っているはずだった。砲弾が着弾した約15m先に妻が倒れていた。抱きかかえると、頭部を負傷しぐったりしていた。目を見開きただ一点を見つめる妻に呼びかけたが反応はなかった。セベロドネツクでは市民の犠牲が増え続ける。「・・・悲劇が毎日繰り返される。それが現実だ」2人の子どもにはまだ母の死を伝えていない。

・戦争から得られるものは何なのか、なぜ戦争はこの世から無くならないのか、戦争とは一体何なのか・・・。GW前くらいから戦争に関する書物をいくつか読みましたが、読めば読むほど私の思考回路は混乱し、このトップページに戦争について書きたいと思っていた5月には、ついに考えをまとめることが出来ませんでしたし、未だに考え方はまとまりません。

・1914年の第一次世界大戦以降の約100年間程度の期間だけでも世界中では多くの戦争が勃発しました。それぞれの時代背景はわからない訳でもありませんが、後の世から見て個々の戦争の原因や理由が肯定されるのか考えると、私には狂った判断にしか見えません。戦争が終結すると人命や財産に大きな犠牲を出した事実から、これを繰り返してはいけないと反省する風潮は生まれるようですが、それをその後に生かせないのです。こういった繰り返しの歴史を見ると、もしかしたら私が考える戦争というものとは根本から違う出来事なのではないかと考えてしまうほど、知れば知るほど凡人から見ると狂気の沙汰だと感じます。

・自分の中で腑に落ちないことは何なのか・・・
 ひと言でいえば「人の命」についてです。命の尊さに関しては万国共通に大切なものだという認識はあるのだと思いますが、ひとたび戦争が始まるといとも簡単に人の命の重さが変わってしまいます。平和な時代には尊重され大事にされてきた命が簡単に見捨てられてしまいます。考えてみれば紛争に限らず、例えば貧しい国では子どもの命すら守られていない現実があり、貧困も国の異常時と考えれば、人々が生活する国の状態によって人の命の重さや価値に大きな差が生じていることになり、このようなことは本来あってはならないことなのだと思います。
 ウクライナではロシア兵の非人道的な行動が多くあり、そのことが沢山報道されています。どの国でも人殺しは重罪であり、暴力やレイプ、略奪なども全て重い罪であるはずなのに、戦争になったらそれらは許されるのか、人を殺めても罪にならないのかと問われれば答えはNOであるはずです。ウクライナではロシア軍が撤退した街の方々に虐殺された多くの民間人の遺体が見つかっていると報道されています。これに関しては戦争犯罪として国際刑事裁判所(ICC)が捜査に入り、ウクライナも司法当局に特別チームを設置し自国の捜査体制の強化を図っています。ただ冒頭に載せた記事と同様に、誰が撃ったか特定出来ない(ロシア軍とまでしか特定出来ない)砲弾によって命を落としたケースは数限りなくあるのでしょう、「これはどうしようもないこと」として処理されてしまうのでしょうか。ロシア軍は病院や学校をも砲撃しており、その建物には民間施設であることを大きく表示し、攻撃しないよう訴えていることなどお構いなしです。こういった行動からロシアが起こした国家テロであるという解釈で、ロシアという国が裁かれる必要があると思うのです。第二次世界大戦でロシアは旧ソ連時代でしたが、モスクワまでドイツ軍に攻め込まれた際に多くの民間人の犠牲を出しているはずです。自国で同様の経験をしているにも関わらず、そんなことはお構いなしに侵攻しているロシアは狂っているようにしか見えません。
 では軍人同志ならば殺し合っても良いのか、これもまた悩ましい話しです。戦場は人命や人格などに対する考え方が常識からかけ離れた世界でしょうから、殺らなければ自分が殺られるという状況に置かれた時に自分だったら一体どのような行動を取るのだろうかということは想像すら出来ません。去る3月末に会派視察で鹿児島県の知覧特攻記念館を観てきました。太平洋戦争末期に米軍に攻め込まれた沖縄戦に戦闘機で敵艦に体当たりをするという旧日本軍の無謀な作戦に命を散らした20歳前後の若い命に触れ、改めて様々に考えさせられました。遺書には無念さや怖さを押し殺して、家族に対する感謝を綴り、家族を守るために戦いに行くという主旨の言葉が多く見られました。決して自分のためではなく人のために命を捨てるという時の心持ちは、平和な時代しか知らない私には理解出来ているようでその本質は捉え切れていないのだと思います。軍人同志だったら殺し合っても良いのか、この答えは私には出せないというのが今の私の結論です。
 ただ、民間人、軍人に限らず言えるのは、それまでの人生で、学びスポーツに打ち込み、本を読み、芸術や音楽に心を癒され、友人や恋人や家族など大切な人間関係を築いてきた、そういう人の人生というものが、狂った世の中の歪に巻き込まれて自らの意思に反した場面で一瞬にして終わらせられる・・・このことが良いことの訳がない、とこれだけは正しいのだと思っています。
一刻も早くウクライナ侵攻が終息し、無駄に人命が奪われることが無くなる日々が訪れることを祈ります。

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