八王子市議会議員

相沢こうた

KOHTA AIZAWA

相沢こうたNEWS
VOL.12 「視察報告」

<会派視察報告その1>

実施日:平成23年7月19日~7月21日

視察場所:○長崎県島原市:鯉の泳ぐまちづくり、○雲仙普賢岳

メンバー:市民・民主クラブ 相澤耕太、森英治、伊藤忠之、安藤修三、星野直美

《長崎県島原市・鯉の泳ぐまちづくり》

≪目的≫
・市内の湧水路に鯉を放流し、市民の憩いの場としているとともに観光のひとつとしている取組みで、八王子市でも至るところに湧水があり公園整備をしたり東浅川地区では水路整備をしていることから湧水路整備の一つの事例として内容をお聞きした。

≪対応者≫
・島原市議会議長・濱崎氏、副議長・永尾氏、島原市議会事務局・柏野局長、吉川氏
島原市まちづくり基盤整備部・森氏、神尾氏  同市民生活部・山田氏

≪概要≫
・当初、平成8年度から17年度の10年間の予定で街なみ整備事業を開始。鯉の泳ぐまち地区森岳地区の2つの事業区域に分けて整備することとした。鯉の泳ぐまち地区については平成8年度より道路美装化を並行して実施しており、平成22年度末で美装化の延長1376m、面積で4562m2を実施。総事業費2億6300万円。道路美装化は元々舗装道路(アスファルト)であった道路に石を張って改善した。この美装化に合わせて市内至るところにある湧水を利用した水路整備を実施した。区域内の湧水ポイントは50カ所程度。

・同時に中央公園整備を実施。公園には遊具を置かず、自然に親しむことをテーマに、湧水・島原石・芝生・植栽を中心に整備した。この公園は街なみ整備事業区域内に位置しており、この公園の周囲にも水路がある。

・これらの取組みの延長を平成20年から平成24年度の計画期間で国のまちづくり交付金を活用して更に整備を実施。整備方針は「島原市の中心市街地における歴史と湧水を生かした観光・住環境の整備、観光拠点のネットワーク化、商店街の活性化」と「住宅地区における高潮浸水対策」。これにより道路美装化や水路整備の他に周辺建物の修景整備なども実施し、良好な景観整備を図っている。

≪質疑≫

相沢こうたの活動報告

Q:湧水路の水の管理はどのようにされていますか。
A:湧水量が十分にあるため、流しっぱなしの状態で、特別な管理はしていない。

Q:鯉についての予算などをお聞きします。
A:昭和50年頃より地域の活性化の目的で、地元商店街で鯉の養殖のようなことを始めた。この鯉を放流することで特別な予算はなかったが、近年は観光化で鯉の泳ぐまち事業費の中で一括で管理している。

Q:鯉について問題などあったら教えていただきたい。
A:稚魚が産まれるが鷺に食べられてなかなか増えない。このため繁殖用の池を容易している。また、病気にかかる鯉はある。

Q:一連の事業全体で地元町会・商店街とのトラブルはありませんでしたか。
A少しずつ事業が本格化したことにより事前の周知が行われてきたせいか、苦情や反対は特にない。

Q:周辺建物の景観整備について問題点があつたら教えていただきたい。
A:建物の形や色を島原のイメージで、と伝えても漠然としていて、人それぞれに微妙に感覚がちがったりして実際には合わないと感じるものもある。アドバイザーや専門家を交えるとよいかも知れないと感じている。

Q:街並みや水路を見て散策する人たちの安全対策について教えていただきたい。
A:一般車両が普通に通過するため、特に交通対策を今後の課題と認識している。

≪感想≫

相沢こうたの活動報告

・海が近く、満潮時や高潮時にかなり海水が上がってくるというお話しでしたが、湧水路の流れは急で綺麗な水が湧き出ていました。泳いでいる鯉の数はもう少し多いのかなと思っていました(私たちとたまたま巡り合わなかったのか、水路が延びたために分散してしまったのかもしれませんが)。観光用というよりは地元の親子連れが湧水路に沿って散歩する姿を多く拝見し、地元に愛されていると感じました。景観整備などまだ進行中のようで、これから更に湧水路・石畳みの道路・建物景観と合わせて見ごたえのある街並みに変化していくのだろうと期待させるものがありました。

交付金の時期も平成24年度まで設定されていますので、3年後くらいに進化した街並みを拝見してみたいと思います。

八王子市にあてはめれば高尾や東浅川方面の水路への鯉放流は一つの案だと思いました。高尾から多摩御陵までの観光的な整備をするのであれば、散策道脇のきれいな水路に鯉の赤い色は大変鮮やかに映ると思います。島原市でも始めは地元の方々がやりはじめた、ということでしたが、もしも八王子市でということになるのならば、同様に地元の率先した動きがあった方がより導入に向けてベストだと思います。

《長崎県島原市・雲仙・普賢岳噴火災害》

≪目的≫
・自然災害のひとつとして平成3年に発生した普賢岳の火山噴火による災害とその対策について勉強した。

≪対応者≫
・島原市議会議長・濱崎氏、副議長・永尾氏、島原市議会事務局・柏野局長、吉川氏
島原市まちづくり基盤整備部・森氏、神尾氏  同市民生活部・山田氏

≪概要≫
・平成2年11月から平成3年に発生した普賢岳の噴火とそれに伴う火砕流、平成4年以降の土石流などの一連の被害について説明をいただいた。

・この一連の災害による被害総額は2兆3000億円、死者43人。

・平成7年2月に噴火活動は停止している。

・市役所でご説明いただいた後、記念館にて噴火の詳細を見学。その後焼失したまま保存されている大野木場小学校を見学した。

≪質疑≫
Q:住民の避難や仮設住宅への移動などで特別なことがあれば教えていただきたい。
A:強いて言えば、それぞれにある程度町会単位での活動・移動となった。

【以降、記念館で個人的にお話しをした中から】

相沢こうたの活動報告

Q:普賢岳は1792年に一度噴火しており、この時は湾の対岸にあたる熊本市を含めて15000人が犠牲となっている歴史がありますが、こういった過去は防災対策に生かされていたのかお聞きしたい。
A:我が国最大の火山災害として記録されてはいるが古いもので、それ以降噴火するかも知れないという程度の認識はあっと思うが、火山災害の規模は予測が難しいため、その程度のものだったと思う。現実に噴火した山は198年前とは違うし、山の崩れ方も違うなど非常に難しい問題だと感じる。

Q:火砕流で多くの死者が出ていますが、非難が遅れた理由など教えていただきたい。
A:火砕流が来たのは火口が出現してから日数も開いており、また突然襲いかかってきたものではない。徐々に住民区域に近づいて来たため住民に避難勧告をする時間があった。にもかかわらず多くの犠牲者を出したということの原因は、火砕流に対する認識が甘かった、というか、みんな火砕流とはどのようなものか本当に理解していなかったのではないかと思う。土石流についても同様。ここまで恐ろしいものだという認識があったら人命を守ることが出来た部分はあると思う。

Q:火砕流で報道関係の人が多く犠牲になっていますが、原因などを教えてください。
A:当時、噴煙を上げる普賢岳を撮影する報道陣が沢山いた場所があり、この地域は住民に避難勧告が出ていたが報道陣にとっては格好のアングルで安全な地帯だと言われていた。この報道陣が待機中に避難して誰もいない民家の電源や水道などを勝手に使用している、という苦情のような情報が入ったため、警察・消防などが現地確認と行為を注意するためにこの地点を訪れた時に、大火砕流が発生したため、報道陣のみならず地元の警察・消防を巻き込むことになってしまった。現在、館内に展示してあるビデオカメラと映像はその時に亡くなられたカメラマンのもので、最近まで表に出なかったものだが、災害の教訓として展示することにしたものである。

※この映像を何回も見ましたが、火砕流が目前に迫っているのに誰も逃げようとしない、ということは火砕流に対する本当の知識が無かったということになると思います。なんとも無残な状況です。

≪感想≫

相沢こうたの活動報告

・私にとって普賢岳の噴火については少し遠い記憶ですが当時のニュースで何度も映像を見ましたし、割合と鮮明に覚えております。今回その映像を記念館で見てあらためて自然災害の大きさに息を呑みました。質疑のところにも書きましたが印象に残ったことが二点あります。一つは火砕流や土石流といったものの本当の怖さを誰も知らなかったということです。おそらく専門家は知っていて、地域や関係者に危険を伝えていたのだと思いますが、それを受け取る側に知識がないため恐ろしいものなんだという危機感が伝わらなかったということでしょう。先日の東日本大震災の津波被害を思い出しました。テレビでは専門家が津波は想像を絶する力なので直ぐに避難してください、と訴えていましたが、私も含めてあそこまでのものだと想像できた素人は皆無だと思います。火砕流や土石流についてその本当の怖さをきちんと理解していたら助かった命が多くあったと感じました。二つ目は火砕流に巻き込まれた報道陣のことです。彼らもまた怖さを理解していなかった訳ですが、労働者としてその現場に配属されるのに何の教育もしない会社ということが許されるのか、ということに憤りを感じます。その世界は知りませんが、迫力のある画を撮ってくる、その最前線で報道する、ということが彼らのポリシーなのかもしれませんが、そのせいで地元の警察や消防の方まで巻き込まれた訳ですから、彼らだけの問題という訳にはいきません。このことを最近展示するようになったとお聞きしましたが、災害時の報道の在り方ということも十分に考えていかなくてはならない課題だと思わせてくれる資料で、貴重な試みだと感じます。

人の記憶というものはあいまいで、時間経過とともに薄れていくのは当然のことですが、忘れてはいけないことや教訓として将来に伝えなくてはならないことがあると思います。普賢岳の噴火災害については貴重な経験として伝えていく必要があることで、こういったことをしっかりと教育の場で取りあげていく必要性をあらためて実感しました。

相沢こうた
八王子市議会議員