八王子市議会議員

相沢こうた

KOHTA AIZAWA

エネルギー関連
VOL.19

再生可能エネルギー
~再生可能エネルギーの歴史から・・1970年代の目論見~

・歴史上、産業革命と一言でくくられている出来事はまさしくエネルギーの革命であり、第一次産業革命は薪炭から石炭への転換、第二次産業革命は石炭から石油への転換期をいいます。

人類は知恵が発達するとともに生活していくための手段として様々な資源を、自分たちが生き永らえるため、また安定した生活を得るためや裕福な生活を得るために利用してきました。古くのそれは山の木々を切り倒した薪炭であり、山の木々を使い果たすと石炭を利用し、その後石油を操ることに発展しました。こういった歴史をつぶさに見ていくとその様々な過程で数多くの失敗をしていますし、その中には都市が滅亡してしまうほどの現実も経験しているのです。

歴史には人類が生き延びるための教訓が山ほど存在するのに、人単体の寿命が50~80年と短いせいか教訓は次第に薄れ同じことを繰り返す傾向にあり、エネルギーに関しても同じようです。現在盛んに議論されている自然エネルギーに関して、割合近年の出来事がありますので実例として記載しておきます。

1970年代におきた再生可能エネルギーによるエネルギー革命への期待

・1970年代の一連の石油危機によって現在の風潮と同様に期待されたのが太陽光と風力でした。
1977年 米国の物理学者エイモリー・ロビンスが「ソフト・エネルギー・パス」という本を出版しました。

内容は再生可能エネルギーと省エネルギーで数十年以内に第三のエネルギー革命が生じ、これによって化石燃料や原子力はほとんど用済みとなり、35年後に約7割はソフトエネルギーに転換になるといったものでした。化石燃料、原子力というハードエネルギーから、風力、太陽光、地熱といった多様なソフトエネルギーの組み合わせと、併せて省エネを図ることになるというこの本はベストセラーとなり当時の米国のカーター政権や日本のエネルギー政策にも少なからず影響を与えました。1977年から35年後は2012年となりますから、丁度過ぎたばかりで、この予言が当たったどうかは私たちが知るところです。

日本では1974年に当時の通産省によってサンシャイン計画がスタート、1978年からはムーンライト計画、1993年からニューサンシャイン計画が実行されました。
結局、ロビンズのソフト・エネルギー・パスについては、米国の一次エネルギー供給における水力発電を除くと7割どころか5%に満たず、日本の太陽、月の光計画においても商業性が確立された新エネルギー技術はほとんどなく、これらの再生可能エネルギーによる第三のエネルギー革命は全くの不発に終わっています。

あえて時期について加えておきますが、これらの出来事は遥か昔のことではない(特に私たちの年代は既に社会人となっていた頃の話しです)ということと、これらの失敗からしばらくの期間は技術開発などが停滞していて近年の原子力発電所の事故で再び脚光を浴びたに過ぎないということですから、過度な期待を持つことの方がおかしな考え方のはずなのです。

・再生可能エネルギーの経済的な競争力はこの間の多少の技術革新にもかかわらず、結果として全く向上していません。再生可能エネルギーが化石燃料や原子力に取って替わることができなかった理由(原因)は、偶然性や熱意、研究や研究費用の不足ではなく、原理的なものであることは明らかで、現在もその状況になんら変わりはありません。

サンシャイン計画、ムーンライト計画、ニューサンシャイン計画

サンシャイン計画とは、1974年7月に発足した日本の新エネルギー技術研究開発についての長期計画で、1973年に発生した第1次オイルショックを契機に、エネルギー問題とそれに付随する環境問題の抜本的な解決を目指して1974年、工業技術院によって計画されました。1992年までに4400億円の予算が投じられました。

ムーンライト計画はオイルショックの経験を踏まえ、エネルギー転換・利用効率の向上、エネルギー供給システムの安定化、エネルギーの有効利用の各要素に関わる技術研究開発を目指して工業技術院により1978年から計画されました。サンシャイン計画が、新エネルギーの象徴として太陽をその名に付けていたのに対し、こちらは月の光も惜しんで使おう、という対照になっています。1992年までに1400億円の予算が投じられ、成果としては廃熱利用技術システム、電磁流体発電、ガスタービンの改良、汎用スターリングエンジン、燃料電池技術の開発、ヒートポンプの効率化などがあげられます。当時開発されたガスタービンエンジンは中間冷却器、熱再生器を備え、世界最高水準の熱効率で、その成果は現在の発電用ガスタービンに活用されています。

・1993年からはムーンライト計画(地球環境技術開発計画)と地球環境技術開発計画を統合したニューサンシャイン計画が行われ、環境保全、経済成長、エネルギー需給安定対策のための新エネルギー、省エネルギー技術、環境対策技術推進が計画されました。

2000年まで、石炭の液化、地熱利用、太陽熱発電、水素エネルギーの各技術開発に重点を置かれていました。太陽熱発電については、日照時間の長さから香川県仁尾町(現三豊市仁尾町)に平面ミラーによるタワー集光型太陽熱発電装置と曲面ミラーとパラボラミラーによる集光型太陽熱発電装置とが設置、タワー集光型太陽熱発電装置は、タワー周囲に平面鏡を並べ、太陽の移動に追従して鏡を動かし、タワーの頂部付近に集光する一種の太陽炉で、その熱によって水蒸気を発生してタービンをまわす構造になっていましたが、出力が計画値を大幅に下回った(想定降水量を下回ったためにミラーの埃を落せず想定出力を得られなかったとする説がある)ため、結局は破棄され実用化には至りませんでした。

・これらの開発過程が現在全くの無駄となっているということはないと思いますし、ガスタービンなど実用化にこぎつけているものがある他、細かな技術については他に流用されているものが多くあるのだろうと推測いたしますが、ソフト・エネルギー・パスで予測したような大幅なエネルギー改革には全く届かなかった歴史が近代日本にあることを、しっかりと認識した上で現在の自然エネルギーへの転換議論をすべきだと思います。

※近年にこういった苦い経験があるにも関わらずマスコミ等が先導して形成する世論が自然エネルギー大絶賛という風潮には何か裏があるのではないかと思いますが、口で言うほど簡単ではないということを一般の方々は理解しておく必要があると思います。繰り返しになりますが再生可能エネルギーがハードエネルギーに取って替わることが出来なかった原因は熱意の不足ではなく、根本的な原理によるものであることは明らかなのです。

相沢こうた
八王子市議会議員