田村こうさく (たむら耕作) 日光市議会議員

田村こうさくの使命
走れ田村!止まるな耕作!

田村こうさくの使命

田村こうさく物語

「提灯屋の6代目から1年に及ぶ欧米放浪、そして市議会議員へ」

「このままじゃだめだ、何とかしなくっちゃ!」

300年続く提灯店の6代目に生まれた田村耕作が、東京での修業を終え、帰ってきた故郷旧今市市。商店街には幼い頃の賑わいはなく、誰もがその現状を憂い、失望していた。「大好きな今市市だからこそ、活気にあふれ、誰もが帰りたくなる街にしたかった。」

「今市市の坂本龍馬でありたい!」と、賑わいのある街今市市の創生を目指して、旧今市市議会議員に打って出たのが平成11年、田村耕作35歳の時だった。「何もできない若造かもしれないけれど、誰よりも行動力とやる気はある。」子ども達の未来を育む新たな今市市への取り組みは始まった。

当初から『人にやさしい街づくり』を掲げる田村耕作の原点は、修業を終えて旅立った、野宿をしながらの欧米放浪での体験にある。見ず知らずの異国人を優しく受け入れて、自宅に泊めてくれた人もいた。ニューオーリンズでは、浮浪者風の老人に食べ物を無心されたこともある。「それまでアメリカは豊かな国というイメージがあったが、そういう人が沢山いて真の豊かさとは何だろうと考えさせられた。」
それから、色々な国で様々な人々に出会った。決して豊かとは言えない境遇にある人たちでも人生を楽しもうとする陽気さやおおらかさにも驚かされた。「生きる喜びに満ちた社会の大切さを痛感した。」

議員として15年。地域の皆様との一つひとつの関わりの中で培った「議員として期待されていること、議員としてやらなければならないこと」を常に胸に刻み、日光市が「大好きな街、帰ってきたくなる街」であり続けるよう、更なる取り組みと改革へ向け、田村耕作は歩み続ける。

『日光市に住み続けたい。市民の皆様がそう思える為には、幼い頃からの教育が何よりも重要と考えます。それは学校教育だけでなく、地域に関わりコミュニティーの中で育ちながら培われていく社会教育でもあります。子ども達が誇りを持ってこの地に住み、将来この日光市を支えていける為にも、地域が見守り育てられる社会を創らなければならないと思います。』